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1989年(平成元年)
我々の悔しさがバネとなり今のチームがある
'89年度の甲南レッドギャングは総勢100名を越す大所帯でありながら、最上級生は15名と少なく、また全員がスターターでなかったため2、3回生がチームの中心を成すという若いチームであった。我々は自由闊達、自主的な雰囲気の中から下級生の押し上げを期待していたが、幹部を中心とした4回生の統率力不足でまとまりにかけた部分があったことは否めない。昭和61年の一部昇格以来、毎年接戦はするものの結果として入替戦出場を繰り返してきたため、我々の目標はまず一部リーグ中堅校としての定着であった。オフェンスでは主将のRB杉原、西宮ボウルにも出場したWR中村(元)、ディフェンスでは同じく西宮ボウルに出場のR松井、NG高原を軸に毎日厳しい練習を積み重ねた。 春の合宿は広野グランドで、夏は部員の増加により京都で行った。合宿では練習の厳しさもさることながら、就寝中に突然「ヨーセーヨーセーホーホー」と寝たまま掛け声を出す者がいたり、雨上がりの広野グランドで歌を歌いながら水抜きをしたことなど懐かしく思い出される。 ハードワークがたたってか多くの故障者を抱えた状態で迎えた秋のリーグ戦では、やはり甲南の永遠のライバル、関学戦が印象に残っている。ディフェンスの大健闘によりゲームは拮抗していたが、そのディフェンスの奮闘にオフェンスが応えられなかったことが大きな敗因であったと思う。第3Qで二度のチャンスがあったが得点に結びつけられなかった。ひとつは敵陣35ヤード付近での3rd down 7ydのパスプレー。キャッチはしたがアウトオブバウンズの判定であった。そのWRは「あれは絶対ミスジャッジ」と言っていた。もうひとつは敵陣20ヤード付近で4th downショート、ギャンブルでトライしたオプションを完全に読まれていて失敗したこと。ディフェンスが頑張り、いいところまで行きながら結果に結びつかなかったこのゲームが我々の秋のシーズンを象徴していたと思う。オフェンスの一員としてディフェンスのメンバーには申し訳なかったと思っている。振り返ってみればまだまだ走る、タックルするなど基礎も不充分であったし、力だけでなくミーティングなどにおいてフットボールの知識やスキルの部分でも不足していた。特にオフェンスではキープレーを確立できなかったことが悔やまれる。近大や神戸大、京産大など勝つべき、いや勝てる試合を落としたことは本当に残念である。 長いレッドギャングの歴史の中でチームの浮き沈みはいつも付いて回るが、その中で我々の悔しさがバネとなり今のチームがあるのだと思う。今の現役やこれからレッドギャングの一員になる選手諸君、それぞれが本気(本物)になり精神面でも大人になり、そして後援会・OB会が一丸となれば必ず近い将来日本一になれると信じている。 (菱井 義之) ■スタッフ
■4回生メンバー
■春季戦績
■関西学生リーグ
■入替戦
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