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1981年(昭和56年)
卒業後に解ったこと
我々四年生四人のみが一部を知っており、三年生以下は2部しか知らない、今年なんとかせばならないという意志の下に始動した。しかし、現実の姿として新人生を加えて、30名前後の人数での練習であり、効率的な進行どころではなく、誰もが一人何役も兼ねて、プレーする事を求められた。また一度グランドに入いると最後まで休めずに動き続ける事を強いられる者もいた。一日の練習は、ただ耐える事のみを体に覚え込ませる様な物となり、プレー自体も単純にして単調な組立でありファンダメンタルの手前の状態であった様に、今だからこそ思える。相手チームに勝つ為には全て、オードーパワーでありオーバースピードであるマンパワー対抗であった。確かに優れた持久力を備えたプレイヤーも生まれ、プレー自体も精度アップされていった。ところが、肉体的には各個人が思っている程鍛えられていない事が、リーグ戦が始まるとあからさまに姿を現わして来た。負傷者が出だすと、一度に4つのポジションを失い、その状況に付け焼刀ではあるが、人をあてがう事に終始した練習内容になり、プレーが単純である為に、尚更にマンパワーのずれを生じ、オフェンスではタイミングが合わなくなり、最終的には、攻守を切換えるという頭の中での作業も停止した者も生まれた。この時期が甲南史上最も低迷した時期と言えるであろう。リーグ戦で負ける毎に、我々四人はいつも同じ事を口にしていた。「我々には何かが足りない。」そしてその何かが何であるのかさえ、整理も出来ないままにシーズンを終えていた。 この時代が深い谷の底であり、そして、その足りない物が「選手と共にあるコーチング」であると我々が解りだしたのは、卒業後数年経ってからの事である。 ■スタッフ
■4回生メンバー
■春季戦績
■近畿学生リーグ 兵庫ブロック
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