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1972年(昭和47年)
新しいフォーメーションも消化不足
脳震盧を学生時代に6回、卒業後クラブチームで4回、計10回経験し現役を退くことにした。今でも都合の悪いときには都合よく(時には意識的に)記憶が薄れることがある。そのとぎれとぎれの記憶をつなぎ合わせ20数年前を思い起こしてみた。 前年(昭和46年)は攻撃体型はボックス、守備体型は7-1で台風の目となり快進撃を続け、最終成績関西学生リーグ2位となった。卒業生も4人と少なく今年こそ夢の甲子園へと夏合宿から打倒関学を目指し、新しいフォーメーション:アーミー、ネイビーに取り組み初戦の近大戦に突入した。しかし試合は何もかもがうまく行かず、浮き足立ってしまい、新しいフォーメーションも消化不足だったのか、力を出し切れないままいつの間にか終わっていた。あっという間の試合であった。結果は0-38の大敗で今思い出しても最も印象深い試合のひとつであった。 でもまだ甲子園への夢は消えていない、残り全部勝てば甲子園に行ける、と自分自身に言い聞かせ、監督、ヘッドコーチには甲子園に行かなければ丸坊主になることを約束し、その後の試合に臨んだが結果は関学(12-56)、京大(6-14)と負け、結局4勝3敗の3位に甘んじてしまった。お陰様で卒業写真は全てが丸坊主であり、今では思い出深い懐かしいアルバムとなっている。 同期生は12名であったが10数年前に副将であり、小柄ではあるが筋骨隆々として手が大きい山村將博氏が他界していることは今もって信じがたく、まことに無念である。 (金本正明) ■スタッフ
■4回生メンバー
■春季戦績
■関西学生リーグ
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