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1971年(昭和46年)
4回生の時の思い出 関西リーグ2位
甲南大学のアメリカンフットボールチームに大勢の部員数が揃いだしたのは、この時期からです。とにかく4回生がプレーヤー4人、マネージャー2人の計6人だったので数多くの部員を集めないことには関西1部リーグの激戦を戦い抜くわけにはいきませんでした。勧誘活動も功を奏し、春の練習前には新入生から4回生も合わせて60人程度になっていました。部員数も多くなったことから、春の基礎練習は例年になく活気があったことを思い出します。当時練習は本学グランドで行っており、タイヤ引きや人を肩で担いでグランドを一周したり、裏山を駆け上がったり、御影の神社まで往復ランニング等で汗を流しました。とにかく春は、経験を積むことを第一に数多くの練習試合をしました。(しかし新入生の入部前の関西学院との練習試合第一戦は負けたものの、試合内容にはしっかりした手応えがあり、残っているメンバーに力があるのを感じていました。) 4月の西日本大会において全大阪大学に12対26で負けましたが5月からの早稲田大学、大阪経済大学、学習院大学、青山大学戦と次から次へと連破したのです。いいムードで夏の合宿に入り、汗と涙の苦しい、厳しい練習をしました。我々の夏の合宿は甲南大学の広野グランドにある合宿所で行いました。当時は周りには何もなく一面の林で、名マネージャー後川の管理の下、抜け出すにも抜け出せない(良い?)合宿所でした。合宿の帰りに4回生で暗い夜道を広野駅まで歩いていると、流れ星が見え誰が言ったのか「願い事をするといいことがあるよ!」みんなはそれぞれの思いを胸に夜空を眺めていました…私は「けが人がなくベストの状態でリーグ戦に入れますように!!」苦しかった合宿の帰りに、この様なことがあり、この時のみんなの笑顔を思い出します。 リーグ第一戦(関西大学)夏の合宿で猛練習をした石崎監督発案のボックスフォーメーション(オフェンス)、7・1(ディフェンス)で関大と接戦の末、創部以来の大勝利をおさめたのである。この試合後、関大の部員が全員丸坊主になったのは有名な話である。第2戦の関学戦も勇んで戦うも力の差があり負けてしまう。しかし次の京大戦では22対12で勝ち、甲南チームに実力がついている証明となり、チームの自信となった。ディフェンスの7・1から5・3、5・3から7・1の動きに磨きがかかり、スナップの速さでは関西リーグでも1、2のセンター末永から繰り出されるボールは、ラグビー出身の主将北村、杉本両バックスを軸としたボックスフォーメーションでおもしろいように進み、そしてパスキャッチの名手エンド副将藤本へのショートパス、ミドルパスもよく通り、同志社大、桃山大、近大と大勝利をおさめることができました。特に近大のオフェンス、ディフェンスは甲南のフォーメーション対応に大変苦労をしていたのを思い出します。関西一部リーグ2位でリーグ戦を終了することができ我々4回生一同ほっとしました。こういう私も1年間みんなの支えで関西学血アメリカンフットボール連盟の委員長を務めることができ、思いがけず協会から学連活動に関して表彰され記念のトロフィーをいただくことができました。しかし我々4回生が何よりも嬉しかったのは、3回生以下数多くの優秀なすばらしいメンバーを残せたことでした。 ■スタッフ
■4回生メンバー
■春季戦績
■関西学生リーグ
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