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1967年(昭和42年)
入部時の思い出
昭和39年入部、43年卒業で高校時代バスケットボールをやっており、大学でも何かスポーツをやりたく、それも高校時代に経験が無くてもハンディキャップにならないスポーツをと、グランドで運動部の練習風景を見ていたときに大野さんにつかまり色々おだてられ、またフットボールの練習自体は常に全員が走り回っているわけでもなく、パスにしてもチャージにしても順番が来るまで待っている時間もあり、なんとなく「楽」なスポーツに見えたのも、入部を決めた動機であったように記憶している。入部当時の主将は天野さんで髪の毛は縮れ、顔は黒く、目はギョロッとしており、日本人とは思えぬ風貌で、当時の巨人軍の長島選手のように爽やかで包容力もあり人間的に惚れていた下級生も多かったように思う。 1回生と4回生では大人と子供ほどの体力差があり、天野さんのスタミナは「すごい」と当時は思ったが、今から思えば、Tフォーメーションでクイックパス主体のクォーターバックの天野さんは、あまり走る必要もなくそんなことが「スタミナの素」であったのだろうか。面白い言葉もあった。練習でうまく天野さんのパスをキャッチして列に戻ったら「よっしゃ、それや。忘れんうちにもう一丁行こう」。もう一丁行った私も純粋であった。夏の練習の最初は防具をつけず、体力作りが日的であり住吉川の焼き場までロングをよく走らされた。1回生は当然、皆から遅れるが、遅れる1回生を橋のあたりで上畑さんが待っておられ、「頑張れ、もうチョイや」などと励ましながら伴走していただき、優しい4回生と思ったものだった。平井さん、西脇さん、村松さん、酒井さん、上畑さん、永田さん、多田さん、翁さん、皆さん貫禄あるすごい4回生ばかりであった。現在の選手諸君の服装はどんなのであろうか。当時は袖に2本の赤い線の入ったグレーのカーデガンか、学牛服と決められており(関学はブルーに白の線)、カーデガン姿の先輩は格好良かったものであった。 試合といえば、服部緑地のグランドと決まっており、観客もOBが数人いるだけといった状態で、西宮球場でやれる現在の選手諸君とは雲泥の差であり、試合に出ない1回生は膝を立てて声を出すだけの仕事で「楽」なものであった。甲南の上は関学だけであり、立命も京大も甲南より下に位置するといった時代であった。 甲南アメリカンの50周年に乾杯 (中江均) ■スタッフ
■4回生メンバー
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■関西学生リーグ
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