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1964年(昭和39年)
水野(現京大監督)キャプテン率いる京大を一蹴! 3位を確保
我々の時代は、ハーフで二度以上の選手の交代はできませんでした。そのため一人ひとりが何役ものポジションをこなさねばならず、練習も4、5時間、時には6時間にもなり、赤鬼コーチの命令で教室の明かりで練習したこともあります。例えば、私はQB、セーフティ、パンター、キッカー、パント・キックオフリターナーなど6ポジションを担当していたわけであります。 私達が2回生になり例年の関学との新人戦を行いました。当時の関学は1、2回生がチームの主軸であり、試合は100点ゲームで敗退しました。パントとキックオフリターンの繰り返しで完全にグロッキー、その後不甲斐ない試合をしたという事で2時間半の練習、得意顔で帰る関学のメンバーの前でヘドを吐き、7時を過ぎた関学グランドで立ち上がることもできず、1回生とボール磨きをしたときの悔しさを今でも忘れません。 しかし、このようなことが再びあるとは夢にも思いませんでした。我々の前年のチームは猛者揃いで、全ポジションのスタートを押さえていた関係で、新チームは試合経験の少ないメンバーでの出発となり、また前年までの成績を何とか維持しなければならないと、常にもまして厳しい練習をした結果、怪我人続出、当時流行っていた集団脱走、新1回生の獲得もままならず春の合宿は12人で行い、初戦西日本大会では常勝していた同大に敗戦、恒例の東西対抗戦も13人ぎりぎりの人数で上京し、各ポジション掛け持ちで何とか勝ったが、食事後の東大戦は悪夢の関学新人戦と同様大敗をきして、昼の食事は東大グランドの土となった次第です。 秋のシーズンは、脱走者の復帰、新人の増加で30人となり、水野(現京大監督)キャプテン率いる京大を一蹴、関大に初戦敗退すれど何とか3位を確保し、新人戦で大敗した最強の関学からタッチダウンを得たのも、3回生の大きなサポートがあったからこそとお礼方々記したいと思います。 (天野隆史) ■スタッフ
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