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1962年(昭和37年)
万年リーグ2位、常に関学の後塵を拝した4年間
我が学年は、故広谷洪三君を中心に、卒業後連盟の仕事を引き受けてくれている上半身は元気な増井松己君、宝塚の美人に囲まれ苦労を楽しんでいる松井俊彦君、元気が取り柄の中山博君と私の5名、そして色々な事情で途中退部した十数名の同期生。 広谷洪三君との思い出のひとつに34年入試合格発表の数日後、朝日新聞夕刊の一面コラム欄に寿岳文章教授が入試面接のことを書かれた記事「親の顔が見たい」というタイトルで寄稿されていた。面接試験において、当大学に入学してからの目的についての質問に対して(大学で何を勉強するのか)アメリカンフットボールと答えている者がいた。こういう子供を育てた親が悪いという内容であった。この記事を見て、広谷君と顔を見合わせたことが思い出されます。 また三井グランドでの夏合宿の際、グランドが広かったこと、野球場4面の外野の芝生、走れど走れど着かなくて辛かったこと。最後の風呂に入り掃除をし、田舎の畦道を赤とんぼと夕焼けを見ながらトボトボと宿舎へ帰ったこと。農家の民宿で蚊帳を吊っての暑さと睡魔との戦い。部歌を歌い、部旗を降納し、やり遂げたことの充実感。北摂連山、六甲の山並み、夏の夕焼けの美しかったこと。広谷君と手を取り合ったのは忘れられない場面です。 4年間、万年リーグ2位に甘んじ、常に関学の後塵を拝した苦い思い出もあるが、3年生の時、関学に接戦するのではないかと思われたときでも大敗した。これが勝った経験のなさだと思い知らされた。監督の長手さんが、四分六で関学に勝てるのではないかと暗示された言葉も思い出されます。 何はともあれ、4年間頑強な先輩と多数の優秀な後輩達とフットボール生活が送れ、友情を育み、自分の人生に自信を与えてくれたことを感謝します。 (木村陽吉) ■スタッフ
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