
![]()
| →歴代表彰者 | トップページ > チームの歴史 > 1958年(昭和33年) |
|
1958年(昭和33年)
ある合宿の思い出
夏、灼熱の太陽の下で、弱々しかった若葉が見違えるほど丈夫に逞しく成長するように、夏こそは成長するものにとっては試練の時でありチャンスなのであります。そういう意味で「夏合宿」は、我々アメリカンフットボール部の選手達には決して忘れられない貴重な経験と思い出なのであります。この合宿の苦しさは、経験したものでないと一寸想像がつかないと思います。とにかく自由に寝られることと、食べられることを切望し、追及することだけが唯一の楽しみなのだから、その状態は推して知るべしであります。しかし、この苦しみを経験し、堪え忍ぶことによってこそ、スポーツマンの誇りと自信が生まれてくるのであります。 この地獄のような合宿生活も後日には必ず楽しい思い出となってお互いに語り合えるのは不思議なものです。その時には必ず「はやり語」なるものが出来るのであります。今夏、甲南高校(旧学友会館)を宿舎として1週間、合宿生活をした我々アメリカンフットボール部員の間では「・・・の鬼」というのが大流行になりました。我々は雨が降ろうが怪我していようが毎朝、6時半から一日のべ8時間はみっちりと搾られるのであるから、いくら「練習の鬼」と知られていても、コーチ、先輩の顔が鬼そのものに見える。これがおそらくその語源であろうと思います。 合宿では全員食欲旺盛であることには間違いありませんが、中には上に「超」が付く人もあって、飯が茶碗に12杯、お茶がなんと丼に立て続けで6杯、そして便所へ正常で5回は行くという話。(下痢ではない)結局「飯の鬼」と「茶の鬼」と「便所の鬼」と鬼のトリプルクラウンを獲得した。 そして3日目から甲南高校が補修授業のため、午前の練習は甲南女学校(旧US、今甲南女子大)のグラウンドを借りることになったので、さあ大変です。「今日から女子校・・・」という日、皆それぞれ汚いジャージの中からなるだけきれいなものを選び出し、中には女学校用に新品のジャージを着る奴もあり、全員「スタイルの鬼」と化し、意気揚々と出発したのであります。しかし鬼コーチに無理に廻り路を指示され、日はかんかんに照り、着いたときには出発前の勢いはどこやら、何とも哀れな姿でありました。 いつまでたっても思い出は尽きませんが苦しかった、また楽しくもあった合宿で鍛えられ、立派に成長した若葉達の来るべきシーズンにおける大活躍を期待しています。 (浦谷 伯) ■スタッフ
■4回生メンバー
■春季戦績
■関西学生リーグ
|