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1955年(昭和30年)
部創部の決意とスタート
旧制甲南高校から新制大学へと時代の流れと共に変貌していく甲南大学に、創部まだ日浅き旧制高校フットボールチームは卒業生と共に消えていったが、その卒業生の胸中には、いつの日か甲南にフットボールチームを再起することが何よりの望みであったに違いない。たとえ一時でも楕円形のボールを手にし、ヘルメットをかぶった彼らにとってフットボールへの郷愁は学生時代の思い出と共に何時までも脳裏を去らなかった。 昭和27年、池田高校タッチフットボール部出身の奥村氏、木村氏、豊中高校出身でタッチフットボールに精通した翁氏など部創設を望む人々により、徐々に足掛かりが築かれつつあったが、チーム創設の記念すべき第一歩を記すには昭和30年5月、奥村、木村両氏の具体的な創立への活動まで待つこととなる。 しかし、三人ではフットボールは出来ない。また防具もない。創部の意欲に燃える彼らの前にはまず選手を集めること、防具を入手するという最も困難な課題が横たわっていた。まず、プレーヤーを集めるため奔走したが、フットボールを習熟している翁氏の加入は、彼の精力的な動きと共にチームにとって大いに意義あることであった。 彼らの熱心な勧誘の結果、5、6名の入部希望者も現れ、防具入手の段階へと入っていった。まだ市販されていなかった防具を入手するため、奥村氏は池田高校タッチフットボール部の一年先輩の長手氏(関学フットボール部OB)に相談を持ちかけた。折良く、警視庁のフットボール部廃止に伴い、その中古防具を関西フットボール協会が買い受け、当時の山之内理事長のご厚意で譲っていただくこととなった。偶然とは言いながら、防具入手の時期と創設の時期が合致したことは甲南フットボール部にとって何よりの幸運であった。長手氏に連れられた奥村氏を始めとする創設当時のメンバー9名は防具を受け取りにいった。皆ショルダーパッドを肩にのせ、ヘルメットを逆さにかぶったりして、初めて手にした防具に夢を馳せた。9名で18組の防具をかつぎ帰宅する彼らの顔には何とか立派なチームを創ってみせるとの気迫が感ぜられた。 昭和30年10月に正式にアメリカンフットボール同好会として学友委員会に登録を済ませ、11月には関西フットボール連盟への登録も終えていよいよ練習が始まった。タッチフットボールの経験者であってもフットボールの練習は初めてであり、練習方法さえ分からないなか、防具入手で尽力いただいた長手氏に改めて正式にコーチ就任を依頼してトレーニングを行った。そして初代監督として旧制OBの月野氏にご就任をお願いした。 やがてトレーニング期間も終わり、防具をつけて練習する日がやってきた。皆が一様にどんな練習をするのかと興味と期待を持っていた。「左右に半々に分かれよ」との指示に従い次の言葉を待った。「左の者はひとりづつはしれ。右の者はタックルしろ」サイドタックルの練習だったのだが、タックルのタの字も教わらないでタックルとは辛い。しかしコーチの指示だから拒否もできない。皆観念して無我夢中でタックルした。手だけでタックルする者、空気を捕まえようとする者、頭をボールキャリアにぶつける者、脳震盪を起こす者、足を捻挫する者、顔を擦りむく者などがほとんどであった。 フットボールとはこんなに激しいものなのかと皆が思った。しかし部員も少ないながらも集まった、防具もここにある、続けねばならない、やめるわけにはいかない。甲南フットボールの発展のために一チームに満たない部員達は来シーズンのゲーム出場を目指し困難な状況の下で毎日部員集めと練習に励んだ。 これが我が甲南大学アメリカンフットボール部のルーツである。 (浦谷 伯) ■スタッフ
■4回生メンバー
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